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Singin' for you

時が過ぎて 大人になっても 大好きだよ

山田涼介とは「努力の教科書」だ

山田くんは言わずと知れた Hey! Say! JUMPの不動のセンターである。よくジャニヲタじゃない友人に「Hey! Say! JUMPのメンバー全員言える?」と聞いたら、まずこの方の名前が外されることはないし、「Hey! Say! JUMPが好き」と言ったら、「山田くんでしょ?」と答える人が9割。そのくらい、彼の顔は世間にも広く知られている。

 

そんな彼が、先日の5月9日に22歳になった。

山田くんが入所したのは11歳のときで、今年で22歳。ゾロ目年に入所してから2周目のゾロ目年がもう来てしまった。時が経つのがいかに早いかを感じさせられる。それと同時に、彼がジャニーズで過ごしてきた年数の長さも、実感する。

 

山田くんは、他のジャニタレと比べ、群を抜いてファン数が多い。しかしそれだけでは留まらず、ジャニーズ事務所内山田担も数多く存在する。Sexy Zone中島健人くん、ジャニーズWEST小瀧望くん…とデビュー組からJr.まで名前を挙げたらきりがない。彼の周りに与える影響力は圧倒的だ。

ここで気づかされるのが、それこそ事務所内というのは、彼のアイドルではないプライベートな部分も見える筈なのに、彼を尊敬し愛する後輩が多いことである。後輩だけではない、先輩さえも彼のもつ魅力を見逃していない。

それは、普通の人が見えないところ=アイドルとしてステージに立っていないとき でも、魅力のある人だから なのだと思う。これは当たり前のようなことで、実は、とても難しいことでもあると思う。

私自身、山田くんのエピソードですごく印象づいているのが、「少クラリハの15分の休憩時間」の話。

 事務所に入ったのは、11才。そのころの俺は、努力家っていう言葉がピッタリだった。

同期の橋本や深澤がどんどんマイクを持って前列で歌えるようになっていく中、俺の定位置はバックダンサーのいちばん端っこ。ダンスも歌も、ほかの人よりレベルが下だったから、とにかく上をめざしてガムシャラだったね。

当時は仕事っていっても「ザ少年倶楽部」くらいしかなかったんだけど、そのリハーサルはいつもNHKの709っていう部屋でやってたの。

今でも覚えてるのが、休憩時間にみんながジュースを買いに行く光景。その709から自動販売機まではけっこう遠くて、往復するのに2分くらいかかるんだ。

俺は、その時間すら惜しくて、家から水筒を持参してた。15分の休憩が始まると、水筒のジュースを飲んで、すぐ自主練。そうすれば、みんなに15分ぶん近づけるんだって信じて。
家に帰ってからも、毎日3時間は踊ってたね。それをずっとつづけてたら…まぁうまくなっていくわけだ(笑)。
俺は誰にもその成長に気付いてもらえてないと思っていたけど、滝沢くんはずっと見てくれていたんだよね。(「真紅の音 - Think Note -」『Myojo』2013.4月号より)

普通の人ならば、15分の短い時間も惜しんで練習しよう、とは思わないだろう。だけど、彼は違った。小さな努力を怠らなかった。誰にも気付いてもらえてないと思っても、その姿勢は決してやめなかった。

彼のそうした人並み外れた強い心意気が、言葉にせずとも体中から滲み出しているのだと思う。そのオーラの引力にまるで引き寄せられるかのように、彼を応援したくなる。

私はタイトルに「教科書」という表現を用いたけれど、それは「完全無欠」を意味するものではない。不安になったり、責任感に押しつぶされそうになったり、睡眠時間が極端に足りなくてPVメイキングで寝てる姿が多くなったり…それでも現状に打ち負かされない山田くんが、その姿で私たちに大切なことを教えてくれている。そういった意味をこめて、「教科書」という言葉を用いたくなった。

 

そういえば、少し前に、光くんがまだYa-Ya-yahだった頃あたりの「Ya-Ya-yah」の番組や「ザ少年倶楽部」を見ていたら、バックでとびきりの笑顔で踊っている少年を見つけた。それが山田くんだった。当時の私は光くんばかり見ていたせいか、気づいてなかったようだが、改めて見ると感慨深いものがある。なぜなら、その笑顔はどの曲でもどのバックでも絶やすことなく降り注がれているから。どの環境でも、輝き続けていたから。

 

私の個人的な話になるが、先日、仲の良い先輩とご飯を食べに行き、当時ある事で責任ある立場であった私が悩んでいた時に

「徳のある人って、どんな人ですか」と聞いた。その先輩はこう答えた。

「徳ある人っていうのは、周りから押し上げられて然るべき立場に立つ人のことだよ。 」

 深い、重みのある言葉をもらった。最初は理解するのに少し時間がかかった。けれども、この言葉が当てはまる人が、いた。

 

そう。それが、山田涼介だったんだ。