Singin' for you

時が過ぎて 大人になっても 大好きだよ

Ya-Ya-yahとJUMPと八乙女光

※多くの方からいただいたコメント等を参考に、少し修正いたしました。(2015/11/07)

※より正確な情報にするために、再度修正をくわえました。(2016/02/19)

 

ついこの間、Jr.グループ「Mr.King vs Mr.Prince(通称キンプリ)」が野球中継でTVに出ているのを見ました。

私自身今のJr.には相当疎くて、まだ誰がどれとかわからないんですが、とにかくキンプリが物凄い勢いのあるJr.であるということはそんな疎い私でもわかりました。

そんな中、ふとこのような文面を発見。

 

「キンプリとYa-Ya-yahって似てない?」

「キンプリもYa-Ya-yahJ.J.Expressみたいになるのかな…」

 

何度も見慣れた「Ya-Ya-yah」という文字。そう、私がかつて愛して止まなかったJr.グループの名前がそこにありました。

既存のJr.グループが解体されるとき、またJr.グループからデビューが仄めかされるときに「Ya-Ya-yahみたいになって欲しくない」みたいな文言をよく目にします。まるでそれは呪いのような…悪夢のようなニュアンスで。

Ya-Ya-yahを忘れないでいてくれている人たちがいるのはとても嬉しいけれど、そのような「悲劇としてのYa-Ya-yah」という一面だけで語り継がれるのは、いちファンとして悲しいものもありました。

当時リアルタイムでYa-Ya-yahを応援していた人もジャニ界隈から去ってきている今、ある意味“仏典結集”のような気持ちで書き残さなければ、と思いました。

 

そこで今回は盛大に懐古してみよう…いや、させてくれ!ってことでこの記事を書いてます。

 

Ya-Ya-yahの変遷

Ya-Ya-yahは、おそらく一番知られているのは4人時代のYa-Ya-yahなのですが、数回メンバー変動がありました。

 


※こちらhttp://jpedia.web.fc2.com/ya.htmlのデータを参考にさせていただいています。

※グループ名の表記が大文字になったり小文字になったりと変動が物凄く激しいグループだったので、表記の正確さに欠ける可能性があります。ご了承ください。

一番初めは薮、赤間、鮎川、山下の4人で「YA-YA」を結成。その後吉田、安藤、星野を加えた7人の「YA-YA-yah」が結成される。ここの経緯については詳しくは知らないのですが、当初のメンバーである吉田くんと安藤くんは1年たたずにYA-YA-yahを脱退してしまいます(平均年齢をより下げるために、二人はグループを辞めさせられてしまったよう)。吉田くんはその後も田組というJr.グループでしばらく活動していたようです。

星野くんも平均年齢の関係か、グループから外され、残された4人でCDデビューを発表するも、最終的には星野くんも加わって5人の「Ya-Ya-yah」で若くしてCDデビュー。かの『忍たま乱太郎』のOP/EDを務めます。子供とは思えないほどの歌唱力に圧倒された人も多かったのではないかと思います。

このときは「あかやぶ」という薮・赤間くんのリードボーカルでした。

 

そして光くんが正式にYa-Ya-yahに加入したのは2004年なのですが、2003年~の冠番組『Ya-Ya-yah』(テレビ東京)や、舞台『Stand by Me』などでは既にYa-Ya-yahのメンバーに混ざって、薮くんと同格扱いでの活動がほとんど。

しかも従来、薮くんとリードボーカルをしていた赤間くんに代わるようなポジションに光くんが立つようになり、玉突きのように赤間くんの立ち位置はどんどん後ろへ…。当時の赤間くん・赤間担はかなり惨い「事務所のやり方」を見せつけられることになりました。

それを受けて、「光くんが赤間くんをいじめている」とか「光くんが赤間くんを外すように事務所に頼んだ」みたいな噂も出るようになり、「事務所のやり方」への不満や怒りが、まだ幼い光くんに向けられてしまうこともよくありました。

 ───いきなりいいポジションになって天狗にはならなかった?

「なんか、チヤホヤから始まったから、そこで、“調子に乗っちゃいけない”ってのがベースにできたんですよ。このままじゃマズイって。歌もダンスも、これくらいできるんでしょってまわりは思ってるのに、それを下回ってるのがわかったし。俺、期待はずれだって」

(中略)

「Jr.時代って、みんな仲はいいですけど、やっぱどっかでバチバチしてるんですよ。目立つとやっかまれ…みたいな。」

(『Myojo』2014.7)

歌もダンスも、ドラマ『3年B組金八先生』で見せた演技も、光は「うまいなんて思ったことない。できないから頑張っただけ。『努力型』というより『努力しなきゃいけない型だから』」と振り返る。

Hey! Say! JUMP 会報No.6)

光くんは 当時のことをこのように振り返っていますが、彗星のごとく現れた「シンデレラボーイ」である自分に対する期待や嫉妬なんかも、相当感じていたのではないかな…と思います。上記の他にも、“Kitty GYM”結成が正直嫌だった、Ya-Ya-yahに刺激を与えずに足並みそろえていきたかったから…的なことを言っていることから、その気持ちは察することができます。

そうして今の ストイックさ や 努力の姿勢 が身についたのかな、と。そんながむしゃらに必死についていこうとする光くんに、いつも一緒について教えてくれていたのが薮くんでした。

 

 Ya-Ya-yah4人時代

光くんがジャニーズ事務所に入所してから、赤間くんと星野くんの扱いが変わっていきました。Ya-Ya-yahとしての仕事なのに呼ばれず、立ち位置もYa-Ya-yahというよりは、もはやバックダンサー…。

そして2004年に光くんが正式にYa-Ya-yahに加入して数か月後に、赤間くんと星野くんは事務所を退所。赤間担や星野担の方々・Ya5人時代を愛する人にとっては、相当耐え難い出来事だったのではないでしょうか。そんな人たちの不満の矛先が再び、光くんに向いた時期もありました。

身近なところで「芸能界の厳しさ」を感じながら、Ya-Ya-yahは4人時代を迎えます。

 

4人時代は比較的安定しており、薮・光・太陽(鮎川)の3人が『3年B組金八先生』に出演。光くんの名演技「丸山しゅう」の誕生です。今では当然のように「丸山しゅう」が受け入れられていますが、当時金八の重要キャストはジャニーさんの寵愛を一身に受けていた薮くんがやるだろうと思い込んでいたので、思いがけない配役に驚いたのを今でも覚えています。

翔央(山下)くんは金八には出られなかったけれども、『里見八犬伝』に出演したり、個人での活躍もありました。

 

そしてYa-Ya-yahは単独コンサートも成し遂げ、NEWSやKAT-TUNがデビューを果たし、Jr.のトップグループに君臨します。『りぼん』(集英社)では、『Ya-Ya-yahがやってくる!』という異例の連載漫画もスタートし、Kinkiやタッキーなどの大物ジャニタレのバックを経験してきたYa-Ya-yahは、確実な人気と実力を持ちました。

光・太陽の2人が高校生になり、Ya-Ya-yah全員が同じ芸能人学校(堀越)という、まるで漫画のような高校生活がスタート。雑誌などでも堀越トークが盛んになったり、Ya-Ya-yahとしての一体感もより一層高まっていきました。

そうしている内にジャニーさんがYa-Ya-yahのデビューを仄めかした記事も出て、「いよいよデビューするか…!」というところまできたときに、

Hey! Say! JUMPの結成。

 

Hey! Say! JUMP結成・デビュー後

───デビューは嬉しかったよね?

「もちろん。でも、やっぱりYa-Ya-yahに対する気まずさもあって。ただ、JUMPのことで考えなきゃいけない、やらなきゃいけないことがいっぱいで頭はパンパンで。うん。でも、デビューしてから、Jr.の友だちが、カラオケで「Ultra Music Power」を歌ってくれて、“バレーの中継見たよ。がんばれよ!”って笑顔で言ってくれて。それでやっと、決心できましたね。」

(『Myojo』2014.7)

この“友だち”って、おそらく太陽くんなんじゃないかと思ってます。この言葉を言われて決心がつく相手って、Ya-Ya-yahのメンバーくらいしかいないと思うので。当時高2の光くん・太陽くんだから学校も同じはずで毎日顔を合わせるはずなので…。そう思うと、太陽くんって本当に懐の大きい人なんだな、と実感させられます。

 

「“ユーと光に(JUMP)をまとめてほしいんだよね”みたいなことも言われて。俺たちは今まで、先輩にかわいがられてきて、人の上に立って何かをするってことを何もしてない。まして俺も光も末っ子気質だし。そういうのできるのかなって思ったけど、でもやんなきゃダメなんだって思いましたね」

Hey! Say! JUMPになるっていうのは、どんなに近しい人間でも言ってはいけないって言われてて。俺と光以外のYa-Ya-yahのメンバーは、何も知らない。それが、すっげーつらかったですね。Hey! Say! 7ができたとき、Ya-Ya-yahで話し合って。“俺たち、これからもこの4人でがんばろうぜ”って語り合った後に、Hey! Say! JUMPの話を聞いたんで……」

(『Myojo』2014.1)

 薮くんは当時をこう振り返っています。Ya-Ya-yahとしてデビューしたかった、でも、ここでデビューできなければジャニーズとしての芸能生命が絶たれるかもしれない…今まで近くでそのような光景を目にしてきたからこそ、物凄く重い決断だったのだと思います。

でも正直、薮くんがJUMP結成&デビューの決定打だったと知ったとき「なんで“Ya-Ya-yahでやっていきたい”って言ってくれなかったの?」と、薮くんを責めるような気持ちも湧き出たのも事実です。「もし、薮くんが“Ya-Ya-yah”で生きていく道を選んでいたら、今頃どうなっていたのだろう。」薮くんを責める気持ちはもうありませんが、このようなことを今でも考えてしまうときはあります。

…こうしてJUMPデビュー後、先輩から可愛がられてきた・Ya-Ya-yahでも翔央くんというお兄さんがいた2人が、グループをまとめていく立場に立たされます。

 

JUMPが結成されてからは、Ya-Ya-yah担の多くの人が離れていきました。「JUMPは絶対に認めない」そのように言う人も多くいました。HPやmixiなどを通して「Ya-Ya-yah is 4ever」という言葉を掲げて活動もしていましたが、結局その活動が報われることはその後ありませんでした。

 

JUMPになってからは、薮・光くんの2人は今までとは大きく変わって立ち位置が後ろに下がりました。そこについての葛藤の部分はあまり2人とも述べていません。

どちらかというと「自分たちがJUMPをまとめていかなければ、このグループ・メンバーたちが生きずに死んでいってしまう。」17~18歳の若い少年に突如降りかかった使命感と責任感でいっぱいだったと思います。

 

そうして、2人が両端から挟むJUMPの時代がやってきました。

 

やぶひかとYa-Ya-yah

───ふたりが怒り役だったんだ。

「そうだね、やっぱ“なんかヘンだな”って思ったとき、パッて薮の顔を見ると、同じような顔してたりするんですよ。いっしょのこと思ってんだなって。そもそも、俺らふたりが呼び出されて怒られてばっかだったんですけどね。“おまえら!”って。“MCのとき、なんで薮がコメント拾わなかった。なんで光は話を広げなかった!”とか」

(『Myojo』2014.7)

当時JUMPが出演した番組などを見ると、メンバーそれぞれがきちんと爪痕を残そうとしていますが、やぶひかの二人はふとした瞬間に神妙な面持ちを見せるようなことがありました(思い込みかもしれないけど…)。それも、もしかしたら裏でスタッフに怒られて、「きちんとやらなきゃ」って気持ちで張りつめていたからなのかなぁー、と。

 

やぶひかはJUMPでデビューした後も、「Ya-Ya-yahとしてのやぶひか」的扱いはありました。JUMPの曲でもやぶひか2人パートがあったり(顕著なのは『SUPER DELICATE』?)、テレ東ではずっとやぶひかで出ていました。捉え方は人それぞれだけど、Ya-Ya-yahのファンの思いを拭ってくれるものであったことには、間違いないです。

しかしそれも、2013年には終わってしまいます。おそらく時期的にJUMPの事務所内管轄移行が行われたことが理由だとは思いますが、歌割も番組も「やぶひか」としての色はこの時から薄れなくなっていった気がします。

 

そして2014年。光くんが「主演」を3つやった年。八乙女担的にかなり華々しく輝いた一年でした。

しかしその裏では、薮くんのフライデー事件もあり…。世間からの当たりがキツい中でも、薮くんは光くんの主演舞台『殺風景』に観劇に来てくれました。

 

2014年には他にもこんなことが。

この内田さんという方は『Ya-Ya-yah』の番組Pをやっていた方で、今でもYaやJJのメンバーの活動を見守ってくださっているようです。この夢物語というのは『日テレ系音楽の祭典 ベストヒットアーティスト』で放送されたときにタッキーのバックで踊ってたやぶひか(JUMP)のことで、「サングラスかけて踊ってたもんなー」っていうのは、'03滝翼コンで踊ってたやぶひかを指しています。

制作者サイドの方にもYa-Ya-yahがどれだけ愛されていたのかが、伝わってきます。

 

そして2015年。

薮くんの見てわかるレベルの「干され期」が続き、その中で薮担を救ったのがおそらく『滝沢歌舞伎』だったのではないでしょうか。光くんはJUMPの中でも一番に観劇に行きました。

(ユニット曲「UNION」について)

「薮を歌わしたい。薮の舞台観に行ってて、結構最近の薮の声ってこう…大人の色気が出てきたじゃん。だから薮をヴォーカルですごい立たせたいなっていうのがすごいあって(中略)サビはもう全部薮にお任せ…(略)」

(『JUMPing CAR』初回限定盤2特典DVD)

光くんはその『滝沢歌舞伎』での薮くんの歌声に何かを感じ、このように語ってくれています。そうして有岡くんと光くんと薮くんでできたのが「UNION」。UNIONでは有岡くんも長年温めてきたDJを披露し、光くんも大好きなベースを使っての演出で、3人の個性が光る一曲となりました。

 

Q.プロデュースしてみたいメンバーは?

薮。オレが家で曲を作るとき、いつも薮の歌声を想像して、薮基準で作っちゃうんだよ。たとえば、『Come Back...?』の歌割りを決めるときも、「ここは薮に歌ってもらいたい」っていうのがあったしね。それはなんでだろう…。やっぱり歌声が好きなのかな。…(略)

(『duet』2015.7)

 ちなみに薮くんの「Come Back...?」でのパートは

過去にフラッシュバック 君の目は冷えた心の傷に染みるだけ…

光くんがなぜここを薮くんに歌ってほしいと思ったのかは分かりませんが、薮くんの声を想像して作曲している、というのはかなりの衝撃話でした。

これは推測だけれども、光くんの入所当時に薮くんがいつも週末に光くんに歌や振り付けを教えてくれていたこともあり、一個上のお兄さんということもあって、光くんはいつも薮くんの背中を追っていたんじゃないか、と。そしてその姿勢は今でも続いており、心の中で実はすごく薮くんを尊敬しているような気がします。

 

 Q.落ち込んだときそばにいてほしいメンバーは?

正直言うと、誰でもいいんだよな。誰説いても元気をもらえそうだしね。でも、あえてひとりだけあげるなら、やっぱり薮だろうな。

なんだかんだいって、オレが芸能生活をスタートさせたころからのパートナーだし。何も言わなくても伝わるんだよね、気持ちが。だから、ツライ気持ちなんかも全部察したうえで、いつもと変わらない態度でいてくれそう。

(『duet』2015.7)

Q.落ちこんだときそばにいてほしいメンバーは?

(略)…もしオレが落ち込んでることに気付いても、ふだんどおり接してくれそうなメンバーは…ってことで考えると、光かな。長いつきあいだから、実際そういうシチュエーションも過去にはあったはずだしね。

(『duet』2015.7)

 ここでは同じ質問に対してお互いの名前を挙げています。薮くんの「実際そういうシチュエーションも過去にはあったはずだしね」の言葉に重みを感じます。

 

今年はやぶひか以外のYaメンバーにも動きがありました。

太陽&翔央くんがつかこうへいさんの舞台に出演したこと。太陽くんがAqua Timezの『最後までⅡ』にMV出演が決まったこと。赤間くんが11年ぶりにTV出演が決まったこと。翔央くんが再び芸能界から去ってしまったこと。

 

なぜいまこのタイミングで記事を書いたのか。

自分の中で実は「Ya-Ya-yahで揃ってテレビや舞台で共演する」ということを夢にしていました。しかしそれが翔央くんの芸能事務所との契約終了により、叶わぬ夢になりそうな今、一度Yaについて書き下ろそうと思い、書かせていただいています。

でもまた復帰する可能性だって十分にありますし、他のメンバーや元JJの松本光平くん・浅香航大くんも活躍しているので、悲しさだけではありません。

 

セクゾ結成のときも、WEST結成のときも、今回のキンプリでもその名をちらつかせる「Ya-Ya-yah」。このグループについて少しでも知っていただけたなら、幸いです。

もちろん私が語るものは一側面であり決して全てではなく、他の方から見れば「それは違うんじゃないか」というものもあると思います。他の元Ya担の方やYaを知ってる方の意見などもたくさん聞きたいです。

 

あと…これはほんとに些細なことなのですが、過去のことを思い出しているうちに、光くんは結構「悪い噂」が多くあったことに気がつきました。

たとえば先に述べた赤間くんのことに加え、「浅香くんをいじめていた」とか「圭人をいじめている」とか…(笑)。でも浅香くんに関しては『殺風景』に観劇に来てくれていたり、圭人くんは「お兄ちゃんだと思ってる」と言ってくれてたりするので、噂は噂でしかなかったんだなと今になって気づきました。当時はまだ幼かったから割と鵜呑みにしてました(笑)。

 

Ya-Ya-yahは解散してしまったけど、Yaメンバーにとっても当時のファンにとっても、今でもかけがえのない存在なんじゃないかと思います。

Yaメンバーが、これからもそれぞれの場で、光り輝き続けますように…。

 

 

(気づいたら7,000字超えてた…ここまで読んでくださりありがとうございました!!!)

 

 

追記

この記事がいろんな手段であらゆるところに拡散されたみたいで、多くの方に読んでいただけて本当に嬉しいです。

ここまで拡散されるとわかっていたら、光くんだけにフォーカスしたものじゃなくてもっと全体的に書けばよかったなぁ(笑)と思っています。

光くんの「悪い噂」に関しての部分で少し付け加えさせていただきたいのが、光くん自身少し当たりが強い部分があったり尖っていた時期もあって、確かにそんな噂が立っても仕方ない部分もあったのかな、と思います。しかしこれを書いた当時敢えてそれを書かなかったのは、どこかで自担をかばいたい自分がいたのかなぁと後で冷静になって気づきました。←重い

あとになって「あ、これいれたらよかった。書いときゃよかった」と思ったものも何個か出てきてしまったので、またYaについて書くことがあるかもしれません…が、そのときは「また語ってるわこいつ」って感じで大目に見てやってください(_ _)

本当にここまで読んでくださってありがとうございました!!